夏の名残を飲み干す


 近くのコンビニでクリスマスケーキとおせちの予約が始まってた。びっくりして、二度見して、もうクリスマス🎄?!と叫んでしまった。その声に「そうなんですよー。早いでしょー?」と苦笑いの店主。
 「本当、びっくりやねー」とふたりで改めて大笑いした。

 秋は一気に来る!というのが実感。
 朝の肌寒さに、肌掛け布団の頼りなさ😥
 季節は、なだらかな坂道を下るようにやってくるのではなく、段差の高い階段をひと息にドンと大きく一段降りたような感じで、ある日、ある朝突然やってくる。
 なんだか人間の発達と似ている。
 気付かぬうちにいつのまにか何かできるようになってるのではなく、ずっといつまでもこのままか?と思っていたら、ある日突然何かできるようになったりするもの。
 這い回っていた我が子が、ある日突然立ち上がったときのような。驚きと感動。

 秋が、突然やってきた。

 まさこの秋の味覚は、イチジクと栗!
 どちらも懐かしいふるさとの匂いがする。
 栗はもちろん誕生日に母が炊いてくれる栗ご飯。懐かしい秋の味覚。
 イチジクは・・・、
 幼い頃、秋にだけ味わえる大事な果物だった。
 まだ店にものがあふれていなかったあの時代。子どもたちは、野や山に入り込んで、季節ごとの生り物を取って食べるのが当たり前。それが、おやつというものだった。
 ご近所の立派な柿の木の美味そうな柿の実が、実は渋柿なのだとちゃんと知っていた。苦い経験とともに🤭。どこの家に何が植えてあって、いつの季節に実がなり食べられるか。野や山のどこに何の木があって、その実は、美味いのかまずいのか。子どもながらに情報収集は確かなもので、みんな熟知していたものだった。
 まさこの家にあったのは、柿の木とイチジクの木。イチジクは、まさこにとって、誰にとがめられることもなく取って食べることのできる、まさに食べ放題の極楽に浸ることができる幸せの木だった!
 秋のほんの一時期のことだけど、新聞紙いっぱいにもぎ取って、ワシワシとかぶりついていたものだ。ヘタについた白い汁で、最後には口の端が切れたりもしたが、そんなことは大したことではなかった。
 今思えば、あれを「至福の時」というのだろうとも思える、幼い頃の幸せな思い出。
 今や、イチジクもスーパーで買って食べるものとなった。大切に、毎朝一個ずつ。
 木に登って、自分が食べたいだけもぎ取って帰り、新聞紙を広げてお腹いっぱいになるまで食べ尽くしていたあの頃は、遠い遠い昔のこと。
 秋にイチジクを見るたびに思い出す、勇敢で、いじきたない、けれど愛おしい幼い頃のまさこの姿。


 「災害レベルの猛暑」と言われた今年の夏。地球規模の気候変動を意識させられる暑さだった😰が、すでに寒いくらいの秋の朝。
 氷入りアイスコーヒーがホットコーヒーに変わる日。
 夏の名残を飲み干す朝。