記憶と忘却の狭間で


 ブログを読んだ教え子のシゲからすぐに連絡がありました。
 「懐かしいねー。先生が『カトちゃん』って呼んでたのは知らなかったけど」
 やっぱり覚えてたのか!
 タイムカプセルはどうなった⁉️
 「GW中は忙しいだろうと思って連絡しなかったけど…先生にも会って話したい事もあるんだー!」とシゲ。
 夕方、早速我が家にやってきました。
 昨年10月の篠栗へのドライブ以来です。
 会うなりに「ねえ、先生。ブログのシゲって私のこと?他にシゲっていう人おるん?」と聞くので「あなたのことよ。他におるわけないやん!」と返して、25年も前の思い出話は始まりました。
 いろいろ話して、ふたりが納得したのは「記憶と忘却はそれぞれの立場でズレがある」ということでした。
 四半世紀も時が経つと、教師の立場のまさこの記憶と、生徒の立場のシゲの記憶、それぞれ鮮明な部分と曖昧な部分、そして忘れ去ってしまった部分とに差があり、そうそう!!とお互いに頷くことと、えー?そうだったー?と首を傾げることとがあるのです。
 シゲは、タイムカプセルを師恩の庭に埋めたことはよく覚えていましたが、カトちゃんが車のライトで照らしてくれたことも家まで送ってくれたことも、全く覚えていませんでした。
 教師のまさこが一番感動した部分は、生徒のシゲにはスッポリ抜け落ちていたのです。
 「そんなことあった〜?」
 「えーー!あのとき、みんな冷えたやん!あー、叱られるー!!って。」「男子は絶対覚えとると思うよ。男子は、カトちゃんのこと怖がってたもん」
 なにしろ、カトちゃんは男子体育の先生でしたからね〜😅ま、シゲは女子だったから。
 肝心なのは、あのタイムカプセルはどうなったのか!ということ。
 これはふたりとも記憶がない。誰に聞いたら覚えてるやろー。同じクラスだった生徒の名前を思いつく限り、ふたりであげてみますが、そういえば、連絡先は知りません!あの頃は、携帯電話を持つ生徒はほとんどいなかった。まさこですら、まだ持っていなかったし😊今となっては、連絡を取る手段がない💦
 結局、掘り出さず、まだ埋まったまんまなのだろうという話に落ち着きました。
 今度、まさこが彦島中の定期テスト前の学習支援ボランティアに行ったとき、さりげなく師恩の庭を探ってみることにしようってことで、タイムカプセルの話は終わったのですが😅
 もう一つ、シゲが気になっていたのが「先生、あの先生を『カトちゃん』って呼んでたの?」ってこと。
 
「いいやー!『カトちゃん』なんて呼ばないよー!」
 もちろん『カトちゃん』はブログのためのニックネームですよ。ワルたちもあがめる、かの生徒指導主任を馴れ馴れしくそのように呼べる人は、当時誰もいなかったはず😆
 タイムカプセルのゆくえを語り、シゲの近況を聞いていると、あっという間に夜は更けて、「じゃあ、そろそろ帰るわー」とシゲは帰っていきましたが、おしゃべりに夢中で、お互い夕食も食べないままでした。
 帰り際、シゲがまさこに言います。
 「先生が元気でおるか心配でねー!」「近くまで来たら先生んちの前を通って、車がなかったら『あー、どこか出かけとる。元気なんや』ってチェックしとっとんよ!まるでストーカーみたいにね!」と。
 教え子が、まさかの恩師を見守るストーカーになっていたとは😅
 

 シゲの写真を撮り忘れたので、シゲに連れて行ってもらった篠栗の釈迦涅槃像の足の裏(仏足)を載せてみました😅
 魔物を寄せつけない!とか、不滅の生命力!とかいろいろありがたい意味があるらしいよ!だけど、釈迦自体、お亡くなりになってるからねー。不滅はありえないね😅
 まさこはこの仏足をしっかり撫でて来たからね。
 コロナ感染から守ってもらえるかしら😉
 信じる者は救われる!って言うじゃないですか😅
 よかろう〜って声が聞こえてきそうな
 釈迦涅槃像(入滅前のお釈迦様が横たわって弟子に説法している姿だってね😉)