七夕 大雨警報発令


 また今年も。線状降水帯の動きに目が奪われます。降水量の多さを表す赤色で覆われた地域は今どんなことになっているのでしょうか。
 濁流に飲み込まれた町や村の映像は、一昨年の倉敷、去年の長野の惨状をよみがえらせます。
 ああ、また今年も。
 地球規模の気候変動で、世界有数の災害国に認定される日本です。これから先もきっと繰り返されることでしょう。
 昨年秋、目の当たりにした千曲川の決壊で汚泥に埋まった家屋や林檎畑。あの姿を思い出すと、胸が苦しくなります。
 熊本の球磨川の近くに親戚が暮らしていて、連絡が取れないんだ・・・と話す知人もいます。今年の避難は、コロナ禍と重なってさらに大変なことになっていると聞きます。そして、想像もできます。まだ先のことではありますが、ボランティア活動もこれまでのようには受け入れができなくなることでしょう。熊本は信州長野よりは近い。可能ならば、何か出来ることを!とは考えるけれど、一体どうなるのだろう。
 今日は、七夕。そんなことも忘れさせてしまうほど、自然は荒れ狂っています。
 携帯を震わせアラートが鳴るとビクッとしてしまいます。何度も何度も警報が出され、土砂災害警戒レベルは3です。高台の我が家あたりの高齢者はどこへ避難することになるのでしょう。高台から降りて、指定避難場所の小学校へ?まさこの浅い考えでは、高台の我が家あたりの場合、大雨警報は自宅待機が一番安全な気がするのですが。なんとも不安な時間が過ぎていきます。
 不安、といえば、雨が少しおさまって、あたりが静かになった頃、突然、火がついたような子どもの泣き声が響き渡りました。お隣の幼い女の子のようです。何か叫びながら、しゃくり上げながら、泣き続けています。ああ、きっとわがままでも言ってお母さんに叱られたのかな?と思って聞き過ごしていましたが、10分、え?15分???いつまでたってもおさまる気配なく、声を枯らしてお母さんを呼んでいます。耐えかねたまさこ、傘をさして、お隣へ。
 駐車場に停められた車のドアを開けたまま、涙で顔をぐしゃぐしゃにした女の子が一人。だけど、まさこの姿を見るとピタリ!鎮まりました。近づいて「どうしたの?一人で車から降りられないの?おばちゃんが降ろしてあげようか?」と声をかけると、ううん!と首を振ります。「お母さんいないの?」「ううん。」「おばちゃんち、お隣なんだよね。泣き声が聞こえたからね。周りのおうちの人もきっと心配してるよ。どうしたらいいかな?」「・・・。」「じゃあ、泣かなくても大丈夫?」「うん」
 ということで、そのまま家に帰ってきたのですが、そのあとも泣き声はピタリ止んだまま、きっと黙って家に入っていったのだと思います。
 ご近所付き合いが難しくなったなぁと感じています。
 我が家の娘はそれこそ以前お隣に住んでいた「すずさん」というおばちゃんに可愛がってもらい、叱ってもらって育ちました。共働きだったまさことはやとさんには見えないところで、いけないことは厳しく叱ってもらったり、鍵がなくて家に入れないでいるときには、すずさんちに上がらせてもらって、折り紙をして遊んでいたり。それが当たり前でした。感謝しながら、お互いさまの付き合いができていました。
 今度はまさこがすずさんの役割を果たすべき年齢にはなっていますが、関わりをつくるのが難しい😥
 今日のまさこは、すずさんと同じようにできたのだろうか?そんなことを考えながら、静かになったお隣のその後をちょっと想像しています。
 近所のおばちゃんに出来ることって?
 大雨警報の中、考えています。