ゴールデンウィーク てぃだ休業に


 てぃだの庭の桜が散って、庭に草が伸びはじめました。
 草抜きにやってきたてぃだで・・・
 ふと、目に飛び込んできたのは、風に揺れる赤くかわいい花。庭の敷石の間から芽を出し、花を咲かせたのでしょう。
 いったいどこから飛んできたのかな〜。
 木々も新芽がいっせいに芽吹くこの季節。
 自然界は、人間界の騒動とは無縁です😅

 コロナウィルスの感染は、まだまだ収束しそうにありません。今年のゴールデンウィークに入っていた2件の予約の方に、お断りのメールを送りました。
 「こちらこそちょっと非常識なお願いだったと反省してます。落ち着いたらまた家族で行きたいと思います!」という返信が届きました。みんなみんな、不安な中にいます。

 はやとさんも東京から帰ってから、すでに2週間が過ぎますが、1週間経った頃、体調に異常がなくて「とりあえず、オレは感染してなかった😅」と言っていました。帰省してしばらくは、家庭内別居にしよう!などと話していたぐらいですから、ほっとしているのでしょう。

 県内の高校の先生に感染者が出て、現役の教職員の登山グループぽれぽれも自粛が強まっています。
 
 「自粛」という言葉で、過剰に反応することには、少しの違和感を覚えます。でも、今そんなことを言うと、強烈に批判されるんだ!という自覚はもちろんあります。
 そんなときだけど、それでもまさこの胸の中にあるのは・・・自粛と萎縮を一緒にするのは、違うのではないかという思い。
 たしかに緊急事態だけど。

 コロナウィルスより、人の方が怖いな!と感じています。
 してはならないことは、もちろん細心の注意を払う。
 だけど、過剰な萎縮は、人を無意識のうちに差別したり、攻撃の対象にしたりする方向に向かわせるのではないか😰
 以前、このブログにも書きましたが、下関で初めて確認された感染者の家族は、市長の不用意なFacebookへの書き込みから、個人情報が特定され、さまざまな批判・攻撃の的となり、引越しに追い込まれたといいます。
 感染者は被害者。もし自分が感染したら、そう思うはず。感染者が極悪人のように批判にさらされ、そこで生きていけないほどに追い詰められていくことは、おかしくないか???
 ちょっと落ち着こうよ!と言いたくなります。
 このヒステリックな状況こそが怖い。

 一方で、コロナウィルスは、これまでの「当たり前」を疑問視する視点を与えてくれたなぁとも思えてきます。
 昨日、お昼にうどん屋さんに出かけたら、新学期のこの時期に、ある学校の先生たちがやってきていました。生徒が来ない学校、給食がないお昼、うどん屋に来る先生たち。
 普通なら新学期のこの時期は、ほぼひと月は息つくひまもなく、緊張の中で日々を送っている先生たちが、学校の外にお昼ご飯を食べにやってくるなんて、考えられません。笑顔で手を振ってくれる懐かしい仲間もいて、ああ、ほんの少しゆとりが生まれてるのかなぁ〜。人間らしい時間を過ごせているのかなぁ〜と、思えてきました。
 教育現場でいえば、勤務時間など無視の長時間過密な働き方の問題や、土日の休みもない部活動のあり方を、本当にあれってまともな働き方だったのかなぁ〜と、振り返るチャンスなのかもしれません。

 はてさて、
 それにしても、「アベノマスク2枚配布に数百億円」や「自粛しろ!だけど補償はしないぞ!」っていう姿勢の政府に対して支持率が落ちないことの異常さ。
 もっとあきれるのは、政府のやることを批判するな、今は心を一つに!という有名人たちのメッセージが当たり前のように流されること。
 うわぁ、これこそ、戦争のあの時代と同じだ〜!!と、背筋が凍ります。

 今、政治がなすべきことは、国民の安全と安心のため、国民の命を守るために、できることを最優先に迅速にすべきだ!と誰もが感じているはずなのに、それをしないことに文句を言うな?
 補償は何も提示せず、国民に自粛をせまり、自粛した者の生活を一顧だにせず、死の淵にまで追い詰められていく人々がいようと、全く無関心で、声高に「緊急事態だ!国民は政府の言うとおりにせよ!」とばかりの政府。それに対して、疑問も不満も声にしないで、みんなで、心を一つにして、今を乗り切ろうという異常さ。おかしくないですか?
 まさこは、怒りがわいてわいて、おさまりません。

 隣で冷静なはやとさんが、穏やかにこう言います。
 「日本人は、少数派になりたくないって思いが強いんじゃないかなぁ。」と。

 まさこは、やっぱり少数派です😅

 Facebookにこんなのがあって、まさこの気持ちとピッタリ!!シェアもコピーもなんでもオッケー👌っていうから、貼り付けてみました😉