てぃだ☀️は西 思いは東へ 秋は暮れゆく

    夏至。太陽は角島大橋の伸びていく先に沈んでいきます。
   10日から、ファミリーでてぃだに宿泊されたアケさんから、下の画像が送られてきました。太陽は、西へ西へと移動し、まさに秋の夕暮れ☺️
    何やらかんやら、あれもやりたい!これもやりたい!と人生ジタバタ過ごして来ました。今日は楽しかったなぁ〜と思える日々が多いことが一番の幸せ☺️

   だけど、この10月。夏が過ぎ、秋がやってきているはずなのに、暑さはおさまらず、秋の気配がやってくる前に日本を襲った台風19号。被災した東日本の惨状は、あまりにも酷い。それでもなお被害の全貌がつかめないというのだから、想像を超えて、空恐ろしい。
    東京に暮らすはやとさん、かのこさん、ひびこさん、教え子たちと連絡をとり、無事を確認して、少しほっとしたところです。

    まさこは、幼い頃高津川という鮎で有名な一級河川のすぐそばで育ちました。泳いでよし!鮎やずがににうなぎなどの恵みもあり!故郷の光景といえば高津川とともにあるといっても過言ではありません。
   けれど、記憶にあるだけでも三度、梅雨どきの集中豪雨に家の前の堤防が決壊。床上、床下浸水と経験しましたし、小学校の体育館への避難も経験しました。「堤防が切れるよ!!下のものを二階にあげるよ!!」と叫ぶのは祖母。父や母は、実家のそばの工場(まさこの実家は小さな木工所でしたから)の様子を見に行っていたのだと思います。下のものを上に、何度も何度も下りては上り、ついに畳も二階にあげる頃、すでにじわじわと水が玄関に入ってきています。長靴を履いて、小学校の体育館に向かうのですが、家から出ると堤防を越えて流れてきた川の水は、膝まで来ています。そうなると長靴も歩きにくく、かえってじゃまな履物。それでも先に進むうちに、あっという間に水は腰のあたりまでになっていました。高台にある体育館で、不安な夜を(まだ、小学生だったまさこ。同じく避難してきている近所の友だちと一緒だという興奮からか、体育館を駆け回っていたような記憶がありますが😥)過ごしました。
   水が引いて、家に帰ると家の中は、ぐちゃぐちゃになっています。床に積もる泥。壁には水のシミ。どこまで水が上がったのかはっきりわかりました。何をどう片付けたのか、もうよくは覚えていませんが、台風一過の青空と夏の本格到来で、カッと暑くて、ムンッとした臭いが耐えられなかったのを記憶しています。
    被災した家を順番に保健所の人が消毒して歩いていたのもよく覚えています。
    二階での生活が何日か続いて、元の生活に戻るまでの長かったこと。

     秋の気配の下関。東の方で台風の甚大な被害に遭われた方々の姿がテレビに映し出されています。茫然としながらも、今すべきことを懸命にしていることだろうと思いを馳せます。元の生活までの気の遠くなるような復旧の道のりを思うと、胸が苦しくなります。

    ここにいては祈ることしかできません。為政者には、迅速に動いてほしい。人、モノ、お金、かけられるものを素早くかけて、復旧を急いでほしい。テレビに向かって、なかなか姿を見せない政治家に早く!!早く!!ぼやぼやしてるんじゃないよ!!と心の中で叫んでいます。

    ぼーっと生きてるんじゃないよ!!っていうのはこういうときに使う言葉。
     義兄は、被災地にたい焼きを届けに行くといいます。
     じゃあ、私に出来ることはなんだろう。

     これからもきっと続くであろう、この異常気象。そして、そこに起因する自然災害。
     国連でスピーチしたスゥェーデンの16歳グレタ・トゥーンベリさんの言葉がよみがえります。未来の私たちの命を守ることにもっと力を尽くして!!という叫び、そして怒りの声が。