東京にて

   一昨日のブログも長かった😥
   じつは、あのブログには続きがあって、次の日に書こうと思っていたのだか、やや躊躇する自分もいて、書くかやめるか迷った。
   ま、いいか。まさこのブログを読んでくださる方は、みんなまさこの理解者だから😅とまたまた勝手に決め込んで、続きを書くことにした。
   暇でしたらお読みください。まさこのたわごとを。ぐらいの気持ちで・・・。
   てぃだには全く関係ない話です😅💦

   彼女、かのこさんのことを綴っておこう。
   大学を卒業して、遠く離れていても、彼女の存在はいつもまさこの胸の中にあった。
   その昔、まさこから彼女に絶縁状を送りつけたことがある。
   大学時代の一番長い時間を彼女と過ごしたし、まさこのそばにはたいてい彼女がいた。それを一般的には「親友」という。彼女はきっとそう信じていたのだと思う。
    彼女との出会いは、唐突で、印象的だった。大学生活初日から、私たちは「友だち」になった。それも今思えば、縁なのだろうか?
    彼女は、それまでのまさこの周りにいた人たちとは全く違っていた。自分の意思を強く持ち、それを主張できる人だった。まさこには、それがまばゆく感じられた。強く惹かれたが、ときにうとましくも感じていた。彼女の前では、自分の意思がなかった。考えを求められても、何も主張できるものがなかった。私には何もない。本当に。衝撃だった。
    自分は何者???
    彼女のそばにいればいるほど、彼女の意思に引きずられるだけの自分を感じて、苦しかった。でも、その思いを彼女に語ることもできなかった。そうありたいと思っても、そうはなれない自分。彼女を一番近くでながめながら、遠く感じていたのかもしれない。
    卒業後、その思いをついに絶縁状というかたちで彼女に突きつけてしまった。
   ただただ彼女の生き方に憧れ、そうなれない自分に苛立ち、妬みのような感情が抑えられなかった。それだけなのだと思う。若さのなした愚行だが、彼女をどれほど傷つけたか、そのときには思いをはせることはできなかった。
    彼女との交流を断ち、ひたすら自分とは何者?と問いながら、教師という職に向き合い続け、少し自信のようなものが生まれ始めた頃、やっとあの愚行の意味が見えてきた気がした。
   そして、たどり着いたのは、

    彼女は彼女の人生を生きている
    自分は自分の人生を生きる
    比べるものでも、妬むものでもなく、そこにある自分とは別の一つひとつの人生なのだということ
   そこに学び、刺激を受けながら、彼女と並んで今というときを歩んでいけばいい。

   そこにたどり着いたとき、彼女の生き方を羨み、そうなれない自分を卑屈に感じていたちっぽけな自分もまた愛おしいと思えるようになれた。
   大学時代、彼女に出会わなければ今の自分はいない。人生のターニングポイントという言葉があるが、まさこの人生で一番大きなそれは、彼女との出会いだったと思っている。

   東京で過ごした2年間。
   それを支えてくれた人たち。
   そして、かのこさんと語りあった阿佐ヶ谷の日々。

    これからまた、新たな阿佐ヶ谷の日をつくりだそう。
    はやとさんがまさこにくれた大きなプレゼントだと思って感謝しながら☺️

      2019.2.10    東京にて


  2年前、最後の「阿佐ヶ谷の日」のまさことかのこさん😅
   こうしてみても、やっぱり阿佐ヶ谷は、まさこにとって魅惑の街だ‼️